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塩原学園創立100周年記念誌ダウンロード

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Historic archive

Concept

学校法人塩原学園は2025年に創立100周年を迎えます

本校は、大正14年に塩原市三郎・キク先生御夫婦により塩原裁縫女学校として創設されました。

その後昭和32年本庄女子高等学校となり、67年間の女子教育の期間を得て、時代のニーズに伴い男女共学の本庄第一高等学校へ移行いたしました。

本校に学ぶ生徒が持てる能力を発揮し、将来の夢を実現できるよう指導するため、教職員は先輩諸氏から引き継いだ伝統を礎に、社会の変化とともに変わるニーズに答えられるよう、日々研鑽に努めてまいります。

また、本学園は「響生」という教育理念を基盤に、お互い響き合い前進し、活力ある学園を築きます。

100th Anniversary Events

本庄第一100周年記念式典当日

2025.6.4 学校法人塩原学園は創立100周年を迎えました。

午前の部

式次第

オープニング

午前と午後の2部制で実施され、午前のオープニングではプロジェクションマッピングを使った映像からスタートし、塩原学園の歴史にも触れて迫力があり大いに盛り上がりました。

理事長挨拶

同窓会会長挨拶

同窓会会長 池田浩美様

来賓祝辞

御来賓の方々より温かいお言葉を頂きました。

文部科学大臣 衆議院議員 野中 厚様

生徒代表の言葉

高校生徒会長 前田春月

式典演技 道~100年の軌跡が未来を紡ぐ

本庄第一高校ダンス部による演技

司会者紹介

本校卒業生である安田由加様に務めて頂きました。

午後の部

午後は作曲家 青島広志氏による100周年記念コンサートが行われました。
ソプラノ歌手 横山奈美氏とテノール歌手 小野勉氏の歌声には魅了され会場内も一体となり楽しむことができました。

式典の最後には100周年の記念に花を添えるためにギネス世界記録™に挑戦しました。
挑戦した記録は「折り紙で作ったリボン/蝶ネクタイの最多展示数」です。
式典1週間前から生徒会を中心に生徒・教職員が一致団結して準備を進めてきました。

結果は、現状の記録3,000個を大きく上回る16,560個で見事世界記録に認定されました。

ご来場いただきましたご来賓の方々誠にありがとうございました。
塩原市三郎先生、キク先生を始めとする諸先輩方から繋がれてきたバトンを10年、20年、また100年と繋いでいけるように教職員一同精進してまいります。

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INTERVIE #01

卒業生ライター下田が聞く!
100周年記念の舞台裏

【音楽家・青島広志さん】
ユーモアと温かさで奏でる、未来へのメッセージ

創立100周年という節目に特別な華を添えてくださったのは、作曲家でピアニスト、指揮者の青島広志さん。テレビ番組「題名のない音楽会」や「世界一受けたい授業」などで、軽快でわかりやすい解説で多くの人々の心をつかんできました。

コンサート当日もまた、ユーモア溢れるトークと温かな人柄がにじむステージで、会場は笑顔と拍手で包まれました。今回は青島さんにコンサートの舞台裏や本校生徒へのメッセージを、率直な言葉で語っていただきました。

ーー100周年記念コンサートへのオファーがあった時、どんなお気持ちでしたか?

実は少し前に、ある短期大学の記念行事で演奏をさせていただく機会がありました。その時のステージをご覧くださっていたのが、今回声をかけてくださった樋口校長先生です。本番を見た上でお声がけいただけるのは、音楽家としてとても光栄で嬉しいことでした。

私は基本的に、どんなお仕事でも「まずやってみたい」と思うタイプなんで、特に音楽に関わることでしたら、できる限り応えたいという気持ちがあります。それから学校の歴史や雰囲気を調べながら準備を進めました。

――実際に学校を訪れてみた感想はいかがでしたか?

先生方をはじめ、皆さんとても上品で驚きました。放送ひとつとっても丁寧な言葉遣いで本当に感心しました。さらに感心したのは、お花ですね。入口に飾られていたたくさんの花が、帰るときには小さな花束になって一人ひとりに配られていたんです。

これは、私が普段開催している音楽会でも同じようなことをしているので、「ああ、気の遣い方が似ている」と思って、とても嬉しくなりました。

――12曲の選曲のポイントについてお聞かせください。

今回のテーマは「100周年」。ですので、100年前に起こった出来事や音楽に着目しました。特に、塩原学園旧校歌は、楽譜がまったくなくなってしまっていて、メロディだけが残っていたものを私が編曲しました。もう誰も知っている方がいない、昭和初期の曲です。演奏後に生徒の皆さんが「ありがとうございました」と口々に言ってくださったのも、とても嬉しくて印象に残っています。ここまで心が温かい学校は本当に貴重だと思います。

――将来を考える高校生に伝えたいことはありますか?

自分の「好き」を2つか3つ持っておいてほしいということです。夢は大切にしてほしいけれど、その夢が完璧な形で叶うとは限りませんよね。そんな時、別の「好きなこと」があれば、自分を支えになると思うんです。

私自身も、実は音楽以外に少女漫画が大好きだったんです。ピアノを習いに行くと、先生の家に少女漫画が置いてありました。自分でも漫画を描いてみたくなり、ペンを買って投稿もして、本に載りかけたこともあったんですよ。

でも当時は、男の子が少女漫画家になるのは難しい時代でした。いろんな事情があって断念したんです。それで音楽の道に進みましたが、好きだったことをもう1つ持っていたことが、今につながっていると思っています。

――社会に出たときにどんなことを意識するといいですか?

やりたくない仕事であっても、ちょっとしたことなら率先してやるべきだと、私は思っています。

私は41年間、東京藝術大学で先生をしていました。毎朝7時に出勤して、研究室の27人分のお茶を淹れていました。紅茶が好きな人、ミルクを入れないコーヒーしか飲めない人、糖尿病で甘いものを避けている人、と全部覚えてお出ししていたんです。誰にも頼まれたわけでもありません。でも、そういう小さなことでも、「青島がいてくれてよかった」と言ってもらえる。それが、何より嬉しかったですね。

人によっては「私はお茶くみのためにここにいるんじゃない」と思うかもしれませんが、私は「誰かがやることなら自分から動く」という気持ちを持っておくと、きっと社会に出たときに役立つと思います。

――その道のプロを目指す高校生へのアドバイスをお願いします。

あまりにも上ばかりを見ないことだと思います。目標は必要だけれど、高すぎると自分がそこに届かないことばかりに目がいって、かえってキツくなってしまうこともあります。

私が思うのは、自分より少し上の人を目指して、その人に少しずつ近づいていくことです。時には自分より少し下の人を見てみると、自分が前に進めていることに気づけたり、自信につながったりします。

すごく上の方を見るのは憧れとしてはいいですが、まずは自分より少し上の人を見て、自分をそこまで引き上げることが大切だと思います。

――コンサートで青島さんのエネルギーをすごく感じました。エネルギーの源はどこにあるのでしょうか?

人と会うことですね。今回の100周年コンサートでも、私が一方的にエネルギーを出していたというわけではなくて、会場の皆さんからもたくさんのエネルギーをいただいて交換ができるんです。

そういう意味では、実は私、作曲という作業がちょっと嫌なんです(笑)。部屋にこもって黙々と取り組まなければならないので。ですから、煮詰まってきたら、真夜中でも外に出たくなるときもありますね。

――青島さんが今後挑戦したいことはありますか?

古希を迎えいつまで演奏できるかわからないけれど、「できるうちにできるだけのことをやっておきたい」という気持ちが強くなっています。

理想を言えば、死ぬ前日まで仕事していたいと思ってるんです。実際、漫画家のやなせたかしさんが亡くなる前日まで描いていらしたという話を聞いて、ああ、自分もそうありたいなと。

それから、私はオペラを書くのがとても好きで、これまでにもいろんな作品を書いてきました。手塚治虫さんの「火の鳥」をテーマにしたオペラも3作書いています。本当は全巻分やりたいくらいなんですが……手塚先生、何巻も描いていらっしゃるからそれはちょっと無理かな(笑)。

それから、塩原学園の110周年にも、ぜひまた呼んでいただきたいです。元気でまた皆さんにお会いしたいと思っています。

――最後に、本庄第一高校の生徒へメッセージをお願いします。

皆さんはまず、本当に素晴らしい学校に通っていらっしゃると思います。実は私、校内を見学してみたいくらいなんです。皆さんが卒業されたあと、「あの学校は本当に良い学校だった。だからぜひ入学して」と後輩や周りに伝えられる人が増えることが、学校にとって何よりの恩返しになるのではないかと、私は思っています。

今回、100周年という大切な節目に呼んでいただけたことは、とても光栄でした。ただ、当日は一人ひとりの生徒さんとお話しはできなかったので、音楽室で気軽に質問に答えたりお話できたりする機会があると嬉しいです。

INTERVIE #02

卒業生ライター下田が聞く!
100周年記念の舞台裏

【プロジェクションマッピング・going46】
情熱と気遣いで制約を乗り越え、100年の歴史を光の芸術で演出

創立100周年の記念事業に、特別な光の演出で彩りを添えてくれたのは、映像制作チーム「going46」。単なる映像上映にとどまらず、生徒や先生も出演する"参加型"の演出として構成され、多くの人の想いやエネルギーが結集した作品になりました。限られた時間の中で、どのように完成までこぎつけたのか。そして、そこに込められた情熱とは?

制作を担ったgoing46の横山社長とクリエイターの石井さんに、舞台裏や今後の展望についてお話を伺いました。

――今回引き受けることになった経緯を教えてください。

横山社長:

お話をいただいたとき、「どうしてもプロジェクションマッピングをやりたいんです」と、教頭の小林先生から強い思いを打ち明けていただきました。「教員人生をかけてでも実現したい」とまでおっしゃっていて……正直、あの熱意に押される形で引き受けたようなものです(笑)。

――観客を巻き込む演出も工夫されたそうですね。

石井さん:

「ただ見せる」だけでなく、意味づけを大切にした演出を意識しました。その中でも力を入れたのが、参加型の仕掛けです。

まず一つは、生徒さんに映像の中に登場してもらったこと。二つめは、登場人物の声を先生方に担当してもらったことです。皆さん相当練習してくださったと思います。特に、創立者の市三郎さんを担当された先生は、元々申し分ない発音でしたが、何度もアドバイスを求めてくださって。本当に真剣に取り組んでくださったのが伝わってきました。

石井さん:

それから三つめは、書道部によるパフォーマンスを映し出す演出です。書道部の生徒さんも並々ならぬ想いで取り組んでくれて、結果として、本当に多くの人の力がひとつになって、相乗効果でいい作品ができたと思います。

――作品をつくる上でどんなことを意識されていますか?

横山社長:

一番大切にしているのは、気遣いです。もちろんコンテンツの質も重要ですが、それ以上に大切なのは、相手の思いにどれだけ寄り添えるかだと思っています。

私たちの仕事は、ただ映像を作るだけではありません。依頼主の気持ちに120%応える気持ちで、毎回向き合っています。今回は会場の電力制限や照明の制約もありましたが、その中でできる最大限の演出を実現しようと全力を入れて尽くしました。

石井さん:

私はもともと紙のデザイン出身なので、「どう見せるか」よりも「どう伝えるか」「どう解決するか」という視点を大事にしています。

デザインは自己表現ではなく、相手の困り事を解決することが大切です。何を伝えたいのかを丁寧に聞いて、どうすれば伝わる形になるかを考えるのが私の役割です。

それから、どんなに技術があっても、相手の求めていることをしっかりと理解できなければ満足してもらえません。プロは相手の困り事を解決につなげて、初めて価値や対価が生まれるのではないかと思います。

――特にチャレンジされた点はどういった部分でしたか?

石井さん:

色々ありますが、特に幅80メートルの壁に映像を投影するというのが、大きなチャレンジでした。最初はプロジェクター1台での投影を考えていたんですが、社長から「壁全面に投影しよう」と言われ、急きょ2台使って全面投影に切り替えました。社長は、良い意味で「本当にそこまでやるんですか?」と思うくらい、演出の質にとことんこだわる方なんです。

また、最初の設計ではレンズの焦点距離が合わず、やむを得ずお客さんの座席に設置する案になっていました。ですが、お客さんの視界を遮ってしまうため急きょ変更し、2台でできるベストな配置になるよう、設置場所や角度を計算し、遠くからでも鮮明に投影できるようにしました。

――スケジュールもギリギリだったと伺いました。

石井さん:

とにかく制作時間が足りない中での大規模プロジェクトでした。今回はデータ量も非常に大きくて映像を書き出すだけでも何時間もかかり、まさに時間との勝負でした。

また、書道部の皆さんからいただいた書にアニメーションを加える作業もあったんですが、「早く仕上げたい、でもパソコンが空かない」というジレンマもあって……。何をどこまで仕上げられるかを常に逆算しながら進めました。

――本庄第一高等学校の印象はいかがでしたか?

横山社長:

お世辞抜きで、本当に素晴らしい学校だと感じました。まず驚いたのが、先生方の温かさと気配り。どの方も丁寧で思いやりがあって、「この環境で育つ生徒さんはきっと素直でいい子たちなんだろうな」と自然に感じました。実際に生徒さんたちも礼儀正しく、素直でとても印象的でした。

100周年という節目に携わらせていただくプレッシャーもありましたが、会場のスタッフの皆さんも含め気持ちの良い対応をしてくださり、特別な現場になったと思っています。

石井さん:

最初に感じたのは、先生方の一体感です。校長先生をはじめ、先生同士の信頼関係やチームワークがとても良くて、風通しの良さを感じました。

そして、生徒さんたちの気合いも並々ならぬものがありました。一人ひとりが自分の役割に真剣に取り組んでいる姿がとても印象に残っています。今回の成功は、人と環境の力があってこそだと思います。そういった場に関われたことを、心から感謝しています。

――プロジェクションマッピングを仕事にしたいと考える高校生に伝えたことはありますか?

横山社長:

この道を選ぶなら、「いいものを提供できるか」だけでなく、大事なのは「自分が楽しめているか」だと思います。私たちの仕事は、誰かをサプライズで驚かせたり、想像力を使って喜びを届ける仕事です。

この仕事は学力よりも「相手をどう思えるか」「どれだけ寄り添えるか」が問われます。ですから、コミュニケーション力や気遣いも含めて、日々の積み重ねがプロとしての信頼につながっていくのだと思います。

ただ、どれだけ努力しても報われないことも、実際にはあります。それでも「やってみたい」と思うなら、その世界に飛び込んでみることが大切だと思います。

石井さん:

よく「好きなことを仕事に」と言うと思いますが、好きだからこそ、苦しいときも最後までやり切れるし、情熱を持って向き合えると思います。だから生徒さんには、色々なことにチャレンジして、自分の「面白い!」の種を見つけてほしいって思ってます。

「なんでこれが面白いと思ったんだろう?」と、自分を深掘りしていくと、いつの間にか、自分にとっての本当に好きなことにたどり着けるんじゃないかなと思います。

――今後挑戦したいことを教えてください。

横山社長:

世の中がどんどん変わっていく中で、私たちも新しいものに柔軟に対応していける体制をつくっていきたいと思っています。その一環として、最近はデジタルスタジオの運営にも取り組んでいます。というのも、マッピングは機材の準備や搬入・撤収がとても大変なんです。

であれば逆に、人に来てもらうスタイルに変えていこうと思い、今後はeスポーツやメタバース、Vtuberの収録などができるスタジオとして機能させていこうと考えています。

石井さん:

私たちの会社はもともと町の電気屋さんでした。そこから太陽光の事業を経て、今ではマッピングもやっています。「電気屋だから電気のことだけ」という枠に捉われず、「面白そうだな、やってみよう!」という気持ちを大事にしてきました。ゼロから一を生み出す柔軟さが、私たちの強みだと思っています。

最近は、マッピングをもっと気軽に体験できる講座も開催しています。例えば、花びらを置いていくと一輪の花が咲き、うちわであおぐと花びらが舞い上がる…そんな演出をストップモーションという手法で作品にする、というような柔軟な発想を体感してもらえるプログラムです。また、今回のマッピングの制作過程をアーカイブとして映像に残したいと考えています。落ち着き次第まとめたいと思っているので、楽しみにしていていただけたら嬉しいです。

INTERVIE #03

卒業生ライター下田が聞く!
100周年記念の舞台裏

【司会者・安田由加さん】
「声」で彩る100周年、母校への感謝を込めて

創立100周年記念イベントの華やかな舞台を、美しい声と洗練された司会術で彩ってくださったのは、卒業生の安田由加さん。実は安田さん、学生時代には放送部で全国大会に出場し、アナウンスの才能を開花させた経歴の持ち主です。

今回はそんな安田さんに、アナウンサーに興味を持ったきっかけや高校時代の思い出、そして100周年記念イベントへの想いなど、様々なお話をお伺いしました。

ーー最初にアナウンサーに興味を持ったきっかけを教えてください。

中学生の頃、女子アナブームだったこともあり、テレビを観ていて「アナウンサーになれたらいいな」と思い始めたのが、最初のきっかけでした。高校に入学してからもその思いは変わらず、いつかはなりたいと思いながら過ごしていた時、たまたま校内に貼ってあった放送部のチラシを見つけたんです。

ですが、私は特進クラスの出身で、両親から「勉強のために学校に行ったのだから、もし部活に入るなら運動部にしなさい」と言われていました。1年生の時は友人と一緒に運動部に入りましたが、結局半年ほどでやめてしまったんです。

自分の中では放送部のチラシがずっと気になっていましたが、親のこともあり、自分から扉を叩けずにいました。

高校2年生の時、私が体育の先生のモノマネをしていたら、それを見た稲垣先生が「モノマネが上手いのは、耳がいいからだ」とおっしゃり、「放送部を一緒にやらないか」と声をかけてくださったんです。「ハタノさんなら全国大会に行けるよ」と言われ、今思えば先生の誘い文句だったのかもしれませんが、当時の私にとっては本当に嬉しく、両親には内緒で入部を決め、放送部での活動をスタートさせました。もともと憧れていた放送部に、先生の方から直接お声がけいただけたことが何よりも嬉しかったですね。

ーー稲垣先生の言葉通り、全国大会出場を決められたそうですね。

そうですね。やはり、稲垣先生のご指導が的確だったことが大きかったと思います。稲垣先生を中心に、発声や滑舌など、アナウンスの基礎をみんなで一から練習しました。原稿を作ったり、大会に向けての準備をしたりと、大変なことも多かったですが、今でも楽しかったことを覚えています。

全国大会への出場が決まった時は、お昼休みもご飯を食べずに、一人で放送室に行って練習していました。発声練習から、滑舌音の練習、原稿読みまで、1時間ずっと。ただ、好きなことだったので練習している時間は全く苦じゃなかったことを覚えています。さすがに全国大会出場が決まった時は報告しましたが、反対していた父も喜んでくれました。

ーー本当に充実した時間だったんですね。全国大会出場が決まってから、何か新しい取り組みをされましたか?

実は、県大会にはNHK浦和放送局の方が審査員としていらしていたんです。当時、稲垣先生から「アドバイスを直接聞いてみよう」と言われ、手紙を出してその方にお会いする機会を作っていただいたんです。

その時にアドバイスされたのは、「NHKのアナウンサーの喋り方を徹底的に研究しなさい」ということでした。「彼らは、語尾の音の高さを低くして話している」と教えてくださったんです。「あなたの声は高いままだから、語尾を低くすると話が締まって聞こえるよ」と。そうやって、学校以外の方からもたくさんアドバイスをいただきながら、少しずつ学んでいきました。

ーー当時を振り返ってみて、今に通ずる気づきはありますか?

たとえ自分のやりたかったことじゃなくても、与えられたことをしっかりやり続けることの重要性です。

そうすれば、自分が思ってもみなかったところから声がかかって、新たな道が開けることを、今強く感じています。

私の場合はTVのアナウンサーに拘りすぎたのはよくなかったなと思っています。司会業や声優、ラジオアナウンサーなど別の声の仕事へも目を向けるべきだったと反省しています。ただ高校時代のアナウンスで培った話し方が目立つようで、社会人になり、母になった現在は少しだけ声で会社や娘の習い事などでお手伝いをさせていただける機会を頂いております。ぜひ、好きなことは細く長く続けてみてください。

ーー本庄第一高校の生徒にはどんな印象がありますか?

100周年記念イベントでたくさんの高校生を見て、本当に驚きました。私たちが通っていた頃の印象とは180度違って、とても良い意味でびっくりしたんです。

今の生徒さんたちは素直で礼儀正しく、いい子ばかりだと感じました。私のような見知らぬ大人にも、自然にきちんと挨拶ができる生徒が多くて、とても良い学校だなと実感しました。

私たちの時代は髪の毛を明るく染めている生徒も結構いたのですが、今回の在校生には一人も見かけませんでした。記念イベントに一緒に参加していた同級生と「いやいや、どこかにいるよ」なんて話していたのですが、最後まで現れなかったですね(笑)。

ーー改めて「この学校に入ってよかった」と思うことはありますか?

この学校に入ってよかったと思うことは、やはり放送部で稲垣先生に出会えたことです。本当に、本庄第一高校に来てよかったと心から思います。

そしてもう一つは、一生の友達と出会えたことです。今では住んでいる場所もバラバラですが、高校時代に仲の良かった友達とは今でもつながっています。全員で集まるのは難しいのですが、地元にいる子が毎年声をかけてくれて、集まれるメンバーで集まります。その時には、来られなかった子にも“みんな来たよ”と写真を送ってあげるんです。

中にはドイツに住んでいる友達もいて、本当にそれぞれの場所で生活していますが、こうして今もつながっていられる一生の友達を得られたことは、この学校に入ってよかったと思うことの一つです。

ーー在校生に向けてのメッセージをお願いします。

今、学校で学んでいることや自分の興味があることなら、美容でも、ペットでも、スポーツでも、どんな分野でも構いません。とにかく、自分の好きなことを学び続けて欲しいです。いつ、どこでその学びが役立つかはわからないからこそ、ひとつひとつの学びを大切にしてほしいと強く思います。

高校時代は一度きりです。だからこそ、この貴重な時間を大切にしてほしいと思います。勉強はもちろん大切ですし、それだけではなく、クラブ活動や習い事などにも力を入れて取り組んでもらえたらと思います。

クラブ活動で得た経験や仲間との時間は、必ず社会に出てからも役に立つと思います。勉強も頑張りつつ、自分の好きなことを見つけ、とことん極めてほしいです。

ーー今後の目標を教えてください。

子育てが一段落したら、またアナウンスの教室に通ってみたいなと思っています。どんなに小さなお仕事でもいいので、声の仕事に携わる機会があったらいいなというのを、今回の100周年記念イベントをきっかけに思い始めています。

INTERVIE #04

卒業生ライター下田が聞く!
100周年記念の舞台裏

【ギネス世界記録証人ボランティア|上和田愛香さん・近葉舞優さん】
一生の思い出になる瞬間。「記録」が持つ特別な意味

創立100周年記念式典において、折り紙のリボンを使ったギネス世界記録への挑戦が行われ、見事に世界記録を樹立しました。

学校法人藤村学園 東京女子体育大学・東京女子体育短期大学で教務補佐員を務める上和田愛香さんと近葉舞優さんは、厳格な審査を担当する証人ボランティアとして、この記念すべき挑戦に立ち会いました。

今回はそんなお2人に、ギネス世界記録達成の瞬間に立ち会った貴重な体験から感じたことなどについて語っていただきました。

ーーギネス世界記録証人ボランティアとして担当した内容について教えてください。

上和田さん:

リボンを審査するボランティアとして、リボンが貼られた大きなパネルを二人一組で一枚ずつ審査していくという形で行いました。正式にギネス世界記録に登録されるにあたって、リボンの状態を確認することで、ギネス世界記録登録に関して深く貢献できたかなと思います。

ーーギネス世界記録証人ボランティアとして参加した率直な感想を教えてください。

上和田さん:

本学の東京女子体育大学・東京女子体育短期大学も2022年に120周年を迎え、記念の周年を迎える学校同士、学生の活気を感じられたのは今後の大きな力になり、良い経験をさせてもらえたと思っています。

近葉さん:

実際に完成した作品を学生と同じ場所で見ることができ、学生がすごく嬉しそうにしている姿が印象的でした。100周年という記念すべき時に在学しているのは奇跡だと思うんです。さらに、ギネス世界記録にも挑戦して、学校が一丸となって取り組むところを見ることができて、とても良い経験をさせてもらえたと思っています。

ーー本庄第一高校の生徒や記念式典はどんな雰囲気でしたか?

上和田さん:

近くを通っただけで、「こんにちは」と元気よく全員が挨拶してくれました。また、ギネス世界記録に登録される瞬間は、学生の喜びを間近で感じることができる貴重な機会で、とても感動しました。

近葉さん:

私たちもテレビでよく見るギネス世界記録の公式認定員の方に実際にお会いできました。学生たちも「テレビの人だ!」と言って興奮していて、その様子がとても可愛らしく、楽しい気持ちになりました。

ーーギネス世界記録は、人々にとってどんな存在だと思いますか?

近葉さん:

ギネス世界記録に認定されるその瞬間が一生の思い出になりますよね。発表する前に、今までの折り紙部門の1位の記録を見せてもらったんですが、その時点では1万個には届いていなかったんです。でも今回は1万6千個という大幅にオーバーした数でギネス世界記録になったので、前の記録を大きく塗り替えたという達成感や誇らしさも含めて、ギネスに認定されたっていう特別な思い出になると思います。

上和田さん:

学校全体の団結や、達成した時に全員で喜ぶ姿を見て、みんなで一つのことに取り組む素晴らしさを改めて感じました。個人でもギネス世界記録はありますが、普段何気なくできることの中にも、実は記録になるようなことがあるんじゃないかと思います。自分では普通だと思っていることが記録になると知った時、新たな喜びが生まれますよね。ギネス世界記録は集団と個人、両方の喜びを与えてくれる存在だと感じました。

ーー高校時代はどのように過ごしましたか?

近葉さん:

高校時代は部活中心の生活でした。中学校からの夢は教員になることで、勉強することが好きだったので、色々な先生方とお話しする機会が多くありました。学校生活って普通は同世代の学生同士で関わることが多いと思うんですが、先生方ともたくさんコミュニケーションを取ったことが、今振り返ってみるとすごく良い経験だったと思います。

色々な人とコミュニケーションを取ることで、様々な考え方が身について、失敗や挑戦をする時に支えてくださるのも先生方でした。勉強だけでなく、友達との関係も含めて、学校生活全体を楽しんでほしいなと思います。

上和田さん:

高校は3年間という限られた期間ですが、大学に進学すると同じ専攻の人たちが集まるのに対して、高校は様々な目標を持った色んな学生が集まっていると思うんです。

その中で一生ものの友達に出会えると思います。私は群馬県出身で上京してバレーボールを続けていて東京で新たな自分と出会えたことも収穫ですが、何か悩んだ時に相談できるのはやっぱり地元の友達です。

部活だけでなく、色々な場面で一生ものの友達に出会って、遊ぶときは遊ぶ、勉強するときは勉強する、何事にも一生懸命取り組んでほしいなと思います。

ーー現在お二人は教務補佐員で、上和田さんはバレーボール、近葉さんはソフトボールを専門とされているそうですね。

近葉さん:

ソフトボールは小学校から始めて、もう20年くらい続けています。高校時代は、あまり人前に立つのは得意ではなかったんですが、ソフトボール部が強い学校だったので、学級長や委員長などをやらなければならない機会が多くありました。人の前に立つ機会をたくさんいただいたことが、すごく自分にとっては良い経験になったと思います。

上和田さん:

バレーボールは小学校から始めています。実は、私はどちらかというと読書の方が好きで、部活以外の時間は基本的に図書室にいたり、歴史が好きなので歴史の動画やテレビ番組を見たりしていました。あまり表に出るような小学生ではなかったんです。家に帰ったら塗り絵をしたり、本を読んだりして過ごしていました。

内向的な子供時代でしたが、バレーボールに出会えたことで、もう一つの外向的な自分に出会えたのは、大きな成長だったかなと思います。

ーー在校生に向けてのメッセージをお願いします。

上和田さん:

自分の強みを生かすことは、進路選択においてすごく大事になってくると思います。誰にでも絶対に強みはありますが、見つけるまでには個人によって時間の差があると思うんです。なので、就職や大学進学をする中で、自分の強みを最大限生かせるところで頑張っていってほしいなと思います。高校生の皆さんにはエネルギッシュに、学校生活を楽しんでいってほしいなと思います。

近葉さん:

得意なことを楽しむのと同じくらい、苦手なことにも全力で取り組んでほしいと思います。進路のことでいろいろ悩むこともあると思うんですが、悩んでいる時こそ自分自身としっかり向き合って、色々な人に相談して、答えを見つけてほしいなと思います。

例えば「これは得意だけど、やった方がいいのかな」とか、そういう迷いがある時は、まずは挑戦してみて、そこでダメだったらまた考えればいいと思うんです。まずは一歩踏み出すところから、怖がらずに進んでほしいです。

私がよく思うのは、やらないことが失敗だということです。まずはやってみて、それでうまくいかなくても、それは失敗じゃなくて次に繋がることだと思います。一歩踏み出せるかどうかで大きく変わると思うので、頑張って踏み出してほしいなと思います。

ーー今後の目標や挑戦したいことを教えてください。

上和田さん:

私はバレーボールを小学校から続けてきて、自分の生活の一部、人生の一部がバレーボールです。今後自分の道を考えた時に、強みはバレーボールですが、バレーボール以外のことにも目を向けて、新しい発見がバレーボールと結びつけられたらいいなと思っています。バレーボールとのつながりを見つけて、自分の強みを生かせる道を見つけたいです。新しい視点を持って、自分の引き出しを増やしていきたいと思います。

近葉さん:

私は教員になることが夢で、可能であればソフトボール部の指導をしたいと思っています。この先まだ60年くらいある人生の中で、ソフトボールから学んだことが今後に生きているということを伝えられるような指導をしたいです。ソフトボールを教えながら、生徒たちの人生も豊かになるような指導や言葉遣いで、「ソフトボールをしてよかった」と言ってもらえるような指導者になりたいと思っています。

100周年記念式典準備

History

Baseboll

過去2回の甲子園出場!

2008年の全国高等学校野球選手権記念大会に埼玉県代表として出場。ブラジル留学生を中心として北埼玉大会を勝ち抜き初の甲子園出場を成し遂げた。初戦では島根県代表の開星高校に勝利し、2回戦で青森県代表の青森山田高校に敗れた。

2010年の全国高等学校野球選手権に2度目の出場を果たした。県大会1回戦から決勝までの8試合戦っての優勝は本校が初となる。甲子園では2回戦で高知県代表の明徳義塾高校に敗れた。

Kendo

第21回全国高等学校剣道選抜大会 優勝

初の栄冠を懸けた決勝は優勝候補の九州学院(熊本)と激突。先鋒の岡部が一本勝ちで流れを作ると、残る4人も攻め続けて相手に打たせなかった本庄第一の剣道を貫いた。

大将の持井は「つないできてくれたチームの思いに応えたかった」と壮絶な大将戦を戦い抜き、1-0で悲願の全国制覇を成し遂げた。

Socccer

創部わずか6年で驚異の全国優勝!

本庄第一女子サッカー部の発足は1985年の4月。当時女子サッカーを希望する生徒3名と顧問によって創部された。そのわずか6年後、日本女子サッカー連盟杯高等学校女子サッカー大会で全国優勝を果たした。

二度目の全国優勝となる第2回全国高等学校女子サッカー選手権大会。大会は全国の予選を勝ち抜いた16チームによるトーナメント形式で行い、決勝へ進んだのは啓明女学院と本庄第一。個人技で上回るMF岸と右ウイング鈴木を中心にボールを支配し、3-1で優勝を飾った。

Donation project

management organization

事業名
学校法人塩原学園 創立100周年記念事業
事業者
学校法人塩原学園 本庄第一中学・高等学校
住所
埼玉県本庄市仁手1789
代表者名
山浦 秀一
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